絶対的なことなんて世の中に無い(例外:風呂には絶対入ったほうがいい)

入ったほうがいいものと言えば風呂だ。

 

なぜか

 

風呂に入ると良い感じに体が疲れるからだ。

 

体が良い感じに疲れると、頭の疲れとバランスが取れる。

だからメッチャ眠れる。

 

頭でっかち頭脳労働マンのお前らには特にオススメ。

頭脳労働はダメだ。この情報社会においてはテキトーに生きてても頭脳を使うのに、なぜ労働まで頭脳だけ使うのか。

 

体を疲れさせるなら筋トレとかでもいいが、なんかこう、筋トレの疲れは風呂に比べると良い感じじゃない。

 

やはり風呂は入ったほうがいい。

たまにはサウナもね。

 

銭湯だと400円ちょっとで入れるよ。

 

でも銭湯も良いところと悪いところがあるよね。

風呂がアッツアツでサウナもついてるところが至高。

 

サウナ無くてもいいから風呂はアッツアツであってほしい。

やけどさせてくれ。

 

おしまい。

中学受験の思い出

僕の人生で最も幸運だったことの一つは、中学受験をさせて貰えたことだと思う。

 

中学受験して中高一貫校に入学しようとするような人は、だいたい親が医者か一流企業勤務の高学歴ばかり。僕が入った中学には親が芸能人の奴とかもいた。

うちは中堅私大卒で中小企業勤務の家系だったが、普通の人には正体不明の中高一貫校にも理解があり、受験させてもらえることになった。

 

ちなみに中学受験しようとした理由は、小学校の時に仲良かった奴が凄まじく勉強が出来て「受験をする予定」と言っていたのに感化されたからです。

 

関西在住だったので、多くの中学受験者はH学園とかN学園みたいな、大手でスパルタの塾に入っていた。一方で僕は人に影響された程度のモチベしか無かったこともあり、近所にある、自習室と参考書貸し出しと質問対応を兼ねたような個人経営塾に入った。

(前に「塾には通ってなかった」と書いた気もするが、厳密にはアレは嘘です)

受験に関わる手続きとかも教えてもらえたので、自習派の僕にも役立った。

 

小学6年生の時はそこでのらりくらりと勉強していたが、たまに模試を受けるためにH学園の某校に行ったりすることもあった。模試の結果はいつも惨憺たるものだったが、あまり気にしていなかった。

 

しかしこの舐めた態度をひっくり返すような出来事があるとき起きた。

 

夏~秋の頃だったと思うが、H学園で1日だけの特別講習のような授業があり、試しに受けてみることにした。

その時の授業が衝撃的だった。何が衝撃的だったかというと、何一つ講師の話してる内容が理解できなかったのだ。しかも周りの生徒は割とついていけてるっぽかったので尚更驚いた。

授業中は辛くて仕方なかったが、仕方が無いので終了時刻まで待っていた。

 

そして帰る道で授業中のことを反芻するうち、めちゃくちゃに悔しくて悲しい気持ちになった。今までの舐め腐った態度の自分を心底呪った。

 

その日から狂ったように勉強し始めた。

多くの受験生が小4小5から本気で勉強する一方、僕の場合はその時点で入試まで半年を切っていた。でもやるしかないという気持ちだった。

 

手始めに手持ちの参考書の解き方を覚え尽くすまで解いた。塾で参考書を教えてもらい、解くべき箇所を指定してもらった。親に参考書を買ってもらい、徹底的にやり込んだ。小学生ながら起きている間はずっと勉強していた。入試一か月前は小学校にすら行かなくなっていた。

 

そんな感じで頑張ったこともあり、受験の直前期に受けた模試ではそこそこ良い成績が出せた。父親と相談し、比較的難関だが割と合格しそうな中学と、記念に最難関に近いハイレベルな中学を受けることにした。

 

印象に残っているのは、後者のハイレベル側の中学の入試だった。入試当日に大手の塾がいくつも応援に来ていて、完全にアウェイな感じがあった。ただ、正直通る気がしていなかったこともあり、そこまで緊張しなかった。

 

結果としては、両校とも合格していた。

ハイレベル側の中学は奇問難問をその年出して来たので、運良く引っかかることが出来た。

 

で、せっかくハイレベルな中学に合格できたのでそこに通うことにした。母親と姉は、「そんな難しいところ行っても辛い思いするだけ」と反対したが、突っぱねた。

 

そんな感じで中学受験が終りました。

 

今思えば、悔しいという感情に本気で突き動かされたのは、この経験以降全然無い気がする。一生分の悔しい感情と引き換えに力を出せたのかもしれない。

 

おしまい。

 

 

 

コミュ力のブレの大きさを思い知れ

日によってコミュ力が余りに違い過ぎる

 

良い感じにコミュ力あるときは一日中人と会話する業務内容でも楽しく乗り切れるが、逆の場合はずっとメールで連絡していたい。いや、むしろずっと物かデータと向き合っていたい。

 

自分の中でこの原因は大きく二つありそう。

 

睡眠

 

7.5時間ぐっすり眠れた日などはとてもコミュニケーションに前向きになれる。逆に全然眠れなかったときは最悪で、誰からも話しかけられたくない。

 

関連することだが、カフェインの摂取もコミュ力に影響してるっぽい。

 

朝にコーヒーを飲んだら若干コミュ力が上がる。しかし、あまり毎日飲んでると今度は眠れなくなってコミュ力が落ちる。

 

最近はカフェインを入れない期間を設けるようにしているが、その期間は離脱症状があって最悪。眠いし頭痛も激しいしで絶対に話しかけられたくない。

平日はコーヒー飲んで休日は一切飲まないとかにしたほうがいいかもしれない。

 

体脂肪率

大体12-15%くらいがコミュ力高い。

 

低すぎると体調悪いというかお腹すくというか。そんな感じで人との会話に集中できない。

高過ぎるのもダメ。多分脂肪が多いと自信を失うことが原因だと思う。※諸説あり

 

そんな感じ。

 

おしまい。

人の話を聞けない

僕は人の話を長時間集中して聞けない。

 

頑張って聞こうとするんだけれど、途中でいきなり集中が途切れて相手の話が全く理解できなくなる。

だから複雑な内容ほど人に口頭で教えてもらうよりは文章で学びたい。

 

普段社内で誰かから話を聞いているときであれば、集中が途切れても頭が悪いから理解できなかったことにすれば、もう一度話してもらえる。

 

しかし社外の人との話、特にお客さんが相手のときは別だ。あまり何回も聞き返すと真剣味が無い人だと見なされて信用を失うかもしれない。事前に入念に準備して、意識が飛んだとしても話の流れを予想できるようにしないといけない。しんどいね。

 

おしまい。

かつて恐れていた事

大学院での僕の研究は完全に失敗だった。

 

同期には論文を出している奴もいる中、自分は殆ど何の成果も残せずに卒業する(させてもらう)ことになった。

 

その時にふと、「自分は世の中に何の価値も残せず死んでいくんじゃないか」という不安に襲われ、その恐れは割と長い事続いていた。

 

大学院での研究というのは、人生で初めて外の世界に働きかけるチャンスだった。

 

それまでの努力は、大学受験で勉強したり、部活をやってみたり、趣味で音楽やってみたり、バイトしてみたり、友達から笑いを取る話をしようとしたり…どれも自己満足で自分の内側の世界への働きかけに過ぎなかった(もちろんそういった成功で喜んでくれる人もいたが…)。

 

初めて外の世界に働きかけたときに、3年もかけて何も上手くいかなかったことで、上に書いたような恐れを抱くことになったのだ。自分の持っている才能は、自己満足で終わるものにしか向いていないのではないかという疑いが晴れなかった。

 

そんな感じで社会人生活を始めたので、とにかく形に残る成果を出すことに初めは凄くこだわっていた。研究開発の仕事なのに目先のことばかり考えていたように思う。

 

会社に入って2年くらい経ったあたりでちょっとした成果を出せたからか、気づいたらこの恐れは薄れていた(完全に消えたわけではない。今でも)。

 

今はもう少し落ち着いて、先のことも考えて仕事したり自分の能力を見つめたりしている。

 

おしまい。